幼いころの私は、泥んこ遊びや木登りが楽しくて、
絵を描くことは特別好きではなかった。
時々母と一緒に、映画館に行ったり買い物に行くのがうれしかった。
父は絵を描くことが好きだった。
ある日、おにぎりを持って近くの小高い山に登り、二人で画用紙をひろげた。
父は丘の上にポツンと建った新しいハイカラな家を描いていた。
私は、何故か八百屋さんを描いた。
誉めてもらったけれど、どこがよいのか私には分からなかった。
おにぎりが美味しかった。
幼稚園のお絵かきの時間、「遠足の絵を描きましょう」と先生がいった。
何をどう描けばよいのか、わからなくなった。
隣の子がクレヨンで何か描き始めた。
私はそのとおり真似した。
隣の子が失敗をした個所に×をする。私も×をする。
できあがった。
「何の絵?」と私は聞く。
友達は「ベンチ」と答えた。
数日後、壁には×のついた同じベンチの絵が2枚貼り出された。
2年生のころ、先生が又「遠足の絵を描きましょう」と言った。
ドキドキした。
隣の子がジェットコースターを描き始めた。
私は真似をする。
でも今度は友達はとても上手で、真似が追いつかない。
・・・・・・
とうとう私は、茶色のクレヨンでぐちゃぐちゃにかきなぐり、画用紙をつぶして
泣きだした。
「せんせいー、たいへん!」という誰かの声がしたけれど、
自分はこのぐちゃぐちゃの画用紙と同じだ、と思った。
悲しくて、情けなくって消えてしまいたいと思った。
3年生のとき、潮干狩りの絵を描いた。
描いていると、今度は隣の子が私のとおりに描いていた。
(困っているんだろうなあ)と思った。
空や砂浜をムラなくきれいに描きたかったのに、作った絵の具の色が
たりなくて、たくさんムラになり、汚い絵に仕上がり、がっくりした。
なのにある日、校長室の廊下にその絵が貼り出されていた。
(人がたくさん描かれていて、空と海の感じがよく出ている)
と言われた。大人の評価はよく分からない。
嬉しくもなかったし、あの汚い絵を早くはずしてもらいたいと思った。
学生時代、額に入った私の絵は、これ1枚だけだった。
今年のお正月、美術館めぐりをした。
ゴッホの絵に鳥肌がたった。
こんなことは初めてだった。
期待もしていなかったし、好きじゃなかったのに。
1つ1つの色を、迷いながら一心にのせていったのだろうか、と思った。
今にも動き出しそうな迫力だった。
トールペイントで模写をするとき、
(どうかジェットコースターの絵になりませんように)と思う。
でも出来上がってこのサイトにUPする時、×のついたベンチの絵を思い出す。
自分の絵を描くとき、美味しかったおにぎりと、ムラになった潮干狩りの絵を思い出す。
そしてUPする時、カッコ悪いが正直になれた気がして、ホッとする。
人生の中で、「絵を描く」とはどういうことなのだろう。
いつまで人の絵を模写し、演出し続けるのだろう。
私は今そんな自問を繰りかえし、迷いの中で日々を送っている。
2004年10月1日 芳美